マイコプラズマ肺炎入院体験談その1(長男3歳)

このページでは、
- 長男が3歳のときにマイコプラズマ肺炎にかかって入院したときの体験談(1)
について書いてみたいと思います。

3才の長男を育児中の出来事。突然の入院の前編。何もかも初めてでママも子も本当に大変でした。
それは、家族で親戚の集まりに行き、帰ってきた直後のことでした。
「こほ…。ごほ…」
朝、長男(当時3歳)が湿った咳をしています。
(あ、あの子と同じ咳だ。うつされたな…)
親戚の集まりでは、私の弟の子供2人と一緒に行動していました。その子供たちが、同じような咳をしていたのです。
でも、咳の出た朝、わたしは、「いつもの咳風邪をひいた」と思い、さほど気にしていませんでした。
なので、いつも通り、園に通わせることにしました。
でも、1週間たっても、咳は良くなりません。が、たいして悪くもなっていないようにおもえます。
市販の咳止めシロップを与えますが効果はありませんでした。
この時点で、病院に通わせれば良かったのですが、わたしはそれをしませんでした。
わたしは、二人目の子供を妊娠(まだ5週目)していて、親戚の集まりから帰った後、出血してしまい、流産の危機にさらされていたのでした。
そして、結局、わたしは流産してしまうことになります。
長男は、わたしの流産の手術後、病室にお見舞いに来てくれました。
長男は、最初はしゃいでいましたが、別れ際(病院に二泊しなくてはいけなかった)には、大粒の涙で「僕、お母さんいなくてもがんばるから…」と言ってくれました。
その時、咳は酷くなっていたように思います。
(あぁ、病院につれていかなくちゃ)
ベッドの上でそう思いました。
退院後、病院(いわゆる個人でやっている子供病院)へ連れて行くと、普通の風邪薬(軽めの抗生物質。咳止め。痰をきる薬)を処方されました。
しかし、その夜から熱が出ます。38.5℃を超える熱です。
その熱は昼間は下がっていて、夜になるとあがってきます。
昼は平熱近くになるので、どうしてもある程度立って動いてしまいます。
育児中のママなら分かっていただけると思うのですが、三歳児にずっとお布団にいろと言っても、なかなか無理なものがあります。
流産の直後、そして長男の風邪の世話・育児で疲れ切っていたわたしは、4日目の夜に熱が上がらなかったことを良いことに、次の日に園に行かせてしまいました。
(これが、一番まずかった…。反省すべき点です)
昼に園から電話があり、
「お子さん、38℃の熱があります。迎えに来てください」
とのことでした。
園に迎えに行って、その夕方、子供をつれ、総合病院に行きました。
検査をすると、
マイコプラズマ肺炎
という病原菌が悪さをしていることが分かりました。
熱が高かったので、点滴をすることになりました。
子供の点滴は、身体に負担を掛けないように、ゆーーっくりと薬を体内にいれていくので、点滴が終わるまで、2時間ほどかかってしまいました。
点滴が終わったころ、熱は37℃ほどに下がっていました。
マイコプラズマに良く効く、ジスロマックというお薬を貰って帰りました。
ジスロマックは大変苦いのですが、アジスロマイシンは後発医薬品なので薬にコーティングがされており苦みが抑えられています。
病院から帰ってきて、長男はすぐにお布団で眠りました。
薬も飲ませたし、病名(マイコプラズマ)も判明したので、わたしは少し安心していました。
そしてその夜、2時頃でしょうか。長男の身体が、小刻みに震えているのに気付きます。
目もうっすら開いています。
おでこを触るとすごい熱です。
41℃。
そんな熱、これまで経験したことがなかった私はびっくり。
昼間の熱が、やはり夜になってぐんと上がってしまいました。
「大丈夫!!??」
長男に聞くと、長男は「うん」と小さく頷きました。
が、ぼんやりした顔。
そのうち、長男は、押入を指さし、
「電車。ほら、お母さん、電車」
と言います。
わたしは、ふすまの横の線が電車みたいに見えるのかなと思い、「そうね」とだけ返事をし、熱を冷ますために水枕を交換したり、抱っこをしたりしていました。
ダンナと「どうしよう。救急に連れていく?」と話し合っていました。
ママはおろおろ。子どもはぐったり。
ダンナと救急に電話しようか相談している その間も、長男はしつこいくらい
「電車がきた」
と言います。
おかしいなぁ…との思いが、次の瞬間、確信に変わります。
「お母さん、ほら、蜂がきた。ちくって今お母さんの頭、刺した」
わたしは、血の気が引きました。
薄暗い部屋です。ましてや、蜂なんているわけが…。
そうです。
長男は幻覚を見ているのです。
(長男が高校生になったとき、この時のことを訊いてみたら、「あーあったわ、見えたもん、俺」と一言。覚えていたんですね)
私は、電話のほうへ走っていき、震える声で救急へ電話しました。
(ありがたいことに、うちの近くに総合病院があり、救急窓口があります。もちろん、小児科専用というわけではなく、その日の当番の先生が当直で看てくれます)
「幻覚をみていて、熱が41℃あります」
というと、
「すぐ来てください」
とのこと。
ほとんど何も持たず、私たち夫婦は、雨の中、長男を連れて走りました。
救急ってどんなものか、私は余り知りませんでした。
受付窓口に行くと、守衛さんに名前を告げます。
すると、「聞いてますのでお入りください」とのこと。
暗い待合室。2,3人の救急患者がいました。
待つこと20分ほど。
その日の当直は、小児科医ではありません。
(多分脳外科医でした)
「あの、うちの長男、幻覚を見ているみたいです」
と言うと、医師は、長男の首の後ろを触りました。
(髄膜炎をおこしていると、首の後ろが堅くなるそうです。髄膜炎は死に至るような怖い病気です。
高熱、嘔吐、幻覚が症状で、うちの長男の症状と似ていました)
首の後ろは問題が無かったようです。
医師は、(こともあろうに!)
「幻覚~…? うーん。子どもだから、ふざけて言ったんじゃないですかねぇ」
「そ、そんなこと、ありません!」
「…うーん。解熱剤、いれたらどうですか?」
いくら子どもはふざけて冗談を言うとしても、我が子がいま冗談をいっているかどうかは、分かるつもりでした。 たった3年ほどの子育てですが、それくらいは見分けがつくという自負もありました。
でも、とにかく今は高熱が心配。
まだまだ小さい子どもが、こんなに長時間高熱を出していて良いのかどうかも不安。
そういえば、余りにあたふたしていて、解熱剤が冷蔵庫にあることを忘れていました。
(解熱剤は、冷蔵庫で保管することが出来ます。調剤薬局に確認したほうが良いですが、数ヶ月は持ちます。うちには、以前長男がもらった解熱剤がありました)
「……わかりました」
小児科医ではないので、子どもの症状に関するつっこんだことは聞けません。
今の時点で朝の4時。朝8時になれば、小児科が開くので、とりあえず解熱剤を入れて(座薬)様子を見ることにしました。
解熱剤を入れると、熱は引きました。
37℃前後。
とりあえず、身体が楽になったのか、長男は数時間眠りました。
朝の8時。
それから総合病院の小児科へ。(夜にかかった救急病院内にある小児科です)
小児科医の先生は、
「そうかぁ。熱がでたかぁ…。ちょっと幻覚はこわいねぇ。じゃ、入院しようか」
とのこと。
「は、はい…」
入院と聞いて、その時は、「どうしよう!」よりも、正直ほっとしました。
夫婦2人で、肩で息をしている小さな長男を看るのは、正直なところ、本当に心許なかったのです。
ましてや、また幻覚を見出したら、どうしたらよいか…。
すぐに小児病棟へ。
四人部屋に入院することに。そこには同じくらいの年の子と、そのママ達が数名。
でも、そこで問題が…。
「お母さん。あなたも24時間付き添いですからね」
看護婦さんからの一言。
「そ、そうだった…。わたし、自分の入院の用意、なにもしていない…」
出産の時には、十分すぎるくらい、入院セットを準備していたのに、出産が終わったとたん、そんなものはどこかへ行ってしまいました。
(どうしよう…)
側にはダンナがいました。
が、入院の道具(たとえば、歯ブラシとか、着替えとか、洗顔用具とか、女性用品とか…)なんて、そろえて持ってくること、出来るわけがありません。
長男に今必要な育児グッズ・生活グッズがなにかも、ちょっとあやふや。
私が帰宅して、揃えて持ってくるしかありません。
わたしは長男に言いました。
「ママ、家にかえって入院のセット揃えてきていいかなぁ? すぐ戻ってくるから。ほら、パパが側にいるでしょう?」
長男は大泣き。
その時、熱はまた上がってきていて40℃。
まだまだ3歳の子ども。心細さとしんどさでいっぱいいっぱいだったんでしょうね。
こんな時は、やっぱり父親より、母親なのです。
思いっきり走って家に帰り、まるで泥棒のように(苦笑)いろんなものをタンスからひっぱりだし、 つぎつぎとバッグに詰めていきます。
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